箕面ツーリング
2009年1月31日、本町からスタートし、箕面までのツーリングに参加したアルファロメオ自転車の様子。
厳しい寒さの中、市街から山間へと走り抜けました。
800ccクラス元年の2007年に、フレディ・スペンサー(1983年)に次ぐ最少年王者(21歳と342日)に輝いたケーシー・ストーナーは、父親コーリンの指導と支援の下、6歳でオーストラリア・ダートトラック選手権の初タイトルを奪取。8年間で42のタイトルを獲得した。
14歳の時に、ダートトラックからロードへの転向を試みたが、オーストラリアでは、国内選手権への参戦規定が16歳以上であることから、家族と共に欧州に移住。イギリスのアプリリアRSチャレンジ(ランク2位)とスペインの国内選手権(2戦にスポット参戦)に挑戦すると、そのパフォーマンスが評価され、ヤングライダーの発掘・育成に専従していたアルベルト・プーチの下、テレフォニカ・モービスター・チームのライダーとして、翌年の2001年にスペイン選手権(ランク2位)と英国選手権(ランク2位)にW参戦した。
2002年、ルーチョ・チェッキネロ率いるLCRから250ccクラスに初エントリーを開始。翌年も同チームから125ccクラスに参戦し、最終戦バレンシアGPで初優勝を飾り、オーストラリア人として最年少の記録を更新した。
2004年は、KTMのファクトリーチームに移籍。第12戦マレーシアGPで参戦2年目のオーストリアファクトリーに初優勝をもたらした。
2005年は、古巣LCRに復帰。250ccクラスに再挑戦して、オーストラリア人としては中量級最多の5勝をマークして、ランク2位を獲得すると、翌年からチェッキネロと共に最高峰クラスへの挑戦を開始する。
第2戦カタールGPでポールポジション、第3戦トルコGPで2位表彰台を獲得。その一方で、クラス最多となる14度の転倒を記録。第10戦ドイツGPではウォームアップ中に連続して転倒を喫したことから、ドクターストップにより欠場を強いられた。
2007年、ドゥカティのファクトリーライダーとして抜擢され、ドゥカティ・マールボロ入りを果たすと、開幕戦カタールGPで初優勝デビューを飾り、チャンピオンシップをリード。史上4人目の年間10勝をマークし、オーストラリア人としては、ワイン・ガードナー、ミック・ドゥーハンに次ぐ3人目のチャンピオンに輝いた。同時にイタリアンファクトリーにチーム部門とコンストラクターズ部門の初タイトルをもたらした。
ドゥカティ&ブリヂストンのパッケージで連覇に狙った2008年は、2年連続して開幕戦優勝を飾ったが、序盤で高ポイントを稼ぐことができず、タイトル争いから後退したが、第7戦カタルーニャGPでポールポジションを奪取すると、一気に7戦連続してトップグリッドを獲得。第8戦イギリスGPから3連勝で、タイトル争いに巻き返してきた。
しかし、第11戦アメリカGPで転倒から優勝の機会を失うと、2戦連続してトップ走行中に転倒リタイヤを喫し、2連覇への可能性が消滅した。
最終戦となったバレンシアGPでは、シーズン最多タイ記録となる9度目のポールポジションから5勝を飾り、最高峰クラスでの勝率ランク5位(30.8%)、表彰台獲得率ランク8位(50%)、ポールポジション獲得率ランク5位(28.8%)、平均ポイント獲得ランク6位(14.73ポイント)に浮上。現役では、バレンティーノ・ロッシに次ぐ2番目の成績を収めた。
2009年でのタイトル奪回を向け、バレンシア合同テストで、開発中のデスモセディチGP9をテスト。好感触を得て、10月末に第13戦サンマリノGP期間中に再骨折した左手を手術した。